即戦力とは、正社員での実務経験
いきなり何を言っているんだ、コイツは?と思われたかもしれません。
ですが、僕が就職活動をしていた当時の採用面接では、このことばが当たり前のように使われていました。
フツー、ありえないですよね?良くてバイト経験しかない、高校生や大学生に、実務経験を求めるなんて。
ところが、このことばを、採用担当者がこぞって使っていた時代があったのです。
僕が就職活動をしていた2000年代前半は、そのような、狂気としか言いようのない空気が企業やお役所に渦巻いていました。
僕は、ある日本海側の地方都市で、普通のサラリーマンの子として生まれました。
僕が幼稚園に入ろうか、というときに妹が生まれ、サラリーマンの父、専業主婦の母、子供2人という、典型的な昭和の家庭スタイルができあがりました。
そのまま普通に育っていったのですが、僕が小学校5年生あたりのとき、父がうつになり勤めていた会社を辞めることになりました。
当時の僕には事態の深刻さがよくわかりませんでしたが、危機感を抱いたのは母です。
これから出費が増えるときに、一家を支えていた父が働けなくなった。当時父が一軒家を買ってまだ1年ほどだったので、そのローンも返済する必要がありました。
母は、大学時代に取っておいた教員免許を使い、寝る間も惜しんで必死に勉強した結果、教員採用試験に合格し教師になりました。とりあえず我が家の財政危機はそれで救われたのです。
それが後に家庭崩壊の引き金になるとは、当時誰も思っていませんでしたが、それは後の話…
その時の僕が思ったのは、仕事って、こんなに簡単になくなるのか、ということでした。
父が、あの仕事を好きでやっていたとは思いませんでしたが、それでも家族のために必死で働いてくれていたのはわかっていたので、僕たちはもちろん口に出すことはありませんでした。
もっとも、父は父で、僕とはまた別の問題を抱えていました。主に精神面で。それも後の話ですが…
どうせすぐなくなる仕事なら、自分のしたいことをしたい、という漠然とした思いがその後自分の中に生まれたのを覚えています。
ですが、将来何になりたいのか、という具体的なビジョンはありませんでした。
仕事が決まらず、そのまま卒業すると…?
その後、スムーズに進学、とはいかないまでも何とか地元の文系私大に進み、4年になったとき、「例のあのことば」に出会うことになりました。
「経験がないと、入っても厳しいよ。即戦力でないと」
大学主催の就職説明会で、その言葉をはじめて聞きました。
えっ?
一体、何を言ってるんだ、この人は。
その場にいた学生全員がそう思ったに違いありません。
経験って何?
当然ですが、大学4年生の経験なんて、入学試験、バイト、サークルといったものしか持ち合わせていません。
企業が求めているのは、「正社員」で仕事をしてきた経験です。
ないものねだり、という言葉は聞いたことがありますが、まさか現実で、それもいい年こいた大人の口からそれを聞くことになるとは思いませんでした。
僕の通っていた大学は、偏差値も低めで、学科も就職に弱い学科だったので、これは大変なことになる、と直感しました。
今みたいに、履歴書をPCで作成するなんてことは非常識だったので、1枚1枚すべて手書きでつくらなければなりません。履歴書を書くたび、疲れと無力感に沈んでいたことを思い出します。
特に行きたい業界もなく、惰性でこの難関を乗り切れるわけがありません。
え?ちゃんと準備してからのぞめって?
ごもっともですが、大多数の学生は、行きたい業界ならともかく、行きたい会社までピンポイントで決めていることはありませんよ。
面接では、上記のないものねだりと、なぜこの「会社」を選んだのか、を根掘り葉掘り聞いてきます。地方の中小企業に、差別化できるほどの違いなんてありはしません。
すごいのになると、ある月の、我が社の株価はいくらか、なんて問題があって、それに答えられなかった学生は、面接でコテンパンにののしられました。
投資家じゃあるまいし、従業員が常に変動する株価の数字の一部を知っていたからといって、何が変わるのでしょうか?
まあ、ようするに採用を絞るための、テイの良い口実です。
団塊の世代、と呼ばれる戦後日本でもっとも人口の多い世代が、当時50代後半になり、そろそろ定年が見えてきていた時代でした。
1991年のバブル崩壊から未だに景気が回復しないまま、企業は高止まりしているこの世代の給料や退職金を確保するため、新卒採用を抑える、という方法を取りました。その結果、大量の若い無職者が生み出されることになったのです。
それが分かったのは卒業後ですが、我ながら情報収集が甘いですね。
もっとも、それを知っていたからと言って、効果的な対策が取れたとは思いません。
そんなことを知るよしもなく、また能力も適性もなかった僕は、数十枚の履歴書と、大量の時間を浪費した挙句、就職先が決まらないまま卒業式をむかえることになりました。
卒業式でイスに座っているときでもボーッとしていました。学長や来賓の挨拶など、まるで頭に入ってきません。
頭の中は、明日からどうしよう、という思いしかありませんでした。式が終わって外に出ても、それは変わらなかったのです。
この町特有の、灰色の空が、重い気分に拍車をかけます。本当に精神には良くない町です。だから、東京の大学に行きたかったんだ…などと、よけいなことまで思いだし、ますます暗くなっていきました。
僕はまさに、身ひとつで社会の入り口に立つことになりました。才能なし、人脈なし、能力なし、ないないづくしです。あったのは若さだけでした。
つづきはこちら 2.実務経験を積むためには実務経験がいるという無理難題
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