2.実務経験を積むためには実務経験がいるという無理難題

ハローワークは求職者の墓場

 

就職先が見つからない僕にとって、卒業式の翌日から行くべき所はどこにもありません。

 

当然ですが、家にそのままいることになります。

 

今ほどネットでの就職・転職活動が発達しておらず、地方都市にはその恩恵がきていない時期だったので、主にハローワークでそれを行うしかありません。

 

昔は職業安定所、というカタい名前でしたが、1990年代から、このように名前をカタカナにしてしまうのが一般的になったような気がします。

 

ですが要注意、基本的に日本語ですむ名前をカタカナや横文字にするときは、ことの本質をごまかす意図があります。ハローワーク、などという名前になったことで、以前の名前のように、”安定”という目的が失われました。

 

今のハローワークは、職業不安定所、と言っていいほど仕事が決まりません。

 

僕が初めてハローワークに行ったのは卒業式の翌日でしたが、入ったときの何とも言えない雰囲気を今でもよく覚えています。

 

今でこそ、それは失業者全員から出される負のオーラだったんだ、と納得できますが、初めてその場に立った僕が面くらったのも無理はありません。

 

まず印象的だったのは、求職者の目がほぼ全てどんよりと濁っていたことです。当てのない求職活動に疲れ果てているものの対抗策がなく、なかば惰性でここに通っている感じがしました。

 

——仕事を探しに来たのに、スーツを着ているのは、失業したけど家族にはそのことを隠しているからなのか?

 

加えて、中の空気の悪いこと、すえた生ゴミのような腐敗臭と、ケース内部にたまったホコリを吐きだすPCの排気の合わさった臭いが、気分をさらに落ち込ませます。

 

後で知ったことですが、受付で求人検索の応対をしている人たちも、期限付きの非正規雇用で働いている人でした。無職の職探しを非正規が手伝う、という笑えない現実がそこにあります。それは今でも変わりません。

 

実務経験とは受験票みたいなもの、なければ応募すらできない!

 

平均15分ほど待って、求人検索のためのPCの前に座り、タッチペンで条件をかけて求人を絞り込んでいきます。

 

出てきた求人票の画面を見ると、やはり見えたのは実務経験○年、という条件欄の文字でした。やっぱり、という半分あきらめの気持ちと、またか、というやけくその気持ちが入り混じります。

 

正社員になるためには実務経験が必要→実務経験は正社員にならないと積むことができない→以降無限ループ

 

ええーと…

 

これって、詰んでね?

 

誰でも思う、非情な現実の姿が、そこにありました。

 

正社員になれないから困っているのに、正社員じゃないと積めない実務経験を要求される…どう考えても無理ゲーです。

 

それでも仕事が欲しいのならば、ただでさえ少ない求人の中から、未経験でも正社員として雇い、育ててくれるわずかな望みにかける。文字通り、絶望的なバクチを打つしかないのです。

 

僕は文系なので、理系職や、資格のいる専門職はハナから問題外。残されたものから、それを探すのはかなり骨の折れる作業でした。

 

ハロワに出ている求人の約半分が、医療系と土木建築系なので、もうすでにハンデを負っているようなものです。そこから、バイト、契約社員などの非正規雇用を抜くと…?

 

はい、最初から対象の求人のほとんどが消えることになります。

 

僕が大学を卒業した年あたりから、派遣労働の対象が拡大されたのですが、当時はまだそこまで数は多くなかった気がします。

 

それでも、非正規雇用が正規雇用を確実に上回る数で、求人ページを我がもの顔で占領していました。ひとかけらの望みにかける僕をあざ笑うかのように。

 

それでも、当時はまだ20代でしたので、”応募する”だけなら、数はそこそこありました。片っ端から自分にできそうな求人を印刷し、相談するための受け付けを済ませます。

 

当然、自分の番がくるまで待つわけですが、これがまた長い!

 

受付→待つ→紹介状発行という、単純に見えるこの行程が終わるまで、ひどいときには何と2時間以上かかるのです。原因は分かりますよね?そう、求職者の数が多すぎるせいです。

 

紹介状を出すだけなら、ネットで済ませろや!と奥で何の作業をしているのか分からない職員に向かって、どなりつけたい気分でしたが、まさかこんな所で逮捕されるわけにはいきません。ぐっとガマンしました。

 

応募先に簡単な電話をかけ、A4のピラ紙一枚の紹介状を印刷し、渡すだけ。これだけのために、人の時間をどれだけ使わせるんだ、コイツらは…!

 

理不尽な現実と、それをただ機械的に実行するだけの職員に、フツフツと怒りがわいてきます。

 

当時はまだ、事態の深刻さを肌で理解はしていませんでした。理解していたのなら、この程度のことで怒ったりしないんです、ハイ。

 

段階が進むと、それこそどうにもならない事態に、悟ったような、あきらめの境地に達したような、生気のない表情がつくられていくんですよ。俗に言う、死んだ魚の目ってやつです。なりたかないがしかたない。

 

そこまで行くには、僕はまだ若く、また経験が足りなかった。もっとも、こんなどうでもいい経験なんて積んでもしょうがないんですけどね。

 

ですが、これを読んでくださるあなたは、少なからずこの経験をされていることと思います。このやり切れなさ、無力感、経験した人でないとわからない。他人に話してもわかってもらえない、どんなに親しい人でも。だからつらいんです。

 

そうなるまで、さほど時間はかかりませんでした。

 

その前に、僕は最初の正社員になります。大学卒業から、3カ月ほどたったあたりでしょうか?

 

——オイ、ここまで書いておいて、意外にすんなり正社員になってるじゃねーか!

 

そうご指摘を受けるかもしれませんが、一応当時は20代前半です。年齢だけならまだ戦える状況でした。それに、僕が優秀だからじゃありません。

 

たまたま、応募した人のなかで、僕が一番若かったからです。入社した日に社長から聞いたんだからまちがいない。しかも、僕を含めて3人しか受けていなかった、というお寒い事情まで聞かされます。こんなこと聞かせる会社って、どーなんでしょうね?

 

とにかく、何とか職を見つけてそこにもぐりこみました。親からは、うさん臭い会社だから、と少し反対されたのですが、背に腹は代えられない。いつまでも貯金取り崩すわけにはいかんだろう、と入社を決めました。

 

地方の中小企業なんて、程度の差こそあれどれもうさん臭いのが現実です。たたけば何らかのホコリは出るのです。友人たちはそれなりに仕事を見つけ、少しあせっていたのもあり、深くは考えずにその会社に入りました。

 

それが、さらなる泥沼にハマる前触れとも知らずに…

 

 

つづきはこちら 3.助成金のワナとウソ、気づけば泥沼に…

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